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2007年09月09日

前記事「卒業式まで死にません」にコメント下さった方へ

パソコンぶっとび事故のお陰で予定よりも大幅に遅れてしまったのですが、
先日夜中にUPした記事「卒業式まで死にません」にコメントしてくださった皆様、
本当にありがとうございました!
人生の先輩方からのお言葉はどれも大切に別に保管させて頂きました。
これから先、何度も読み返して自分なりに生きていこうと思っています。

当ブログは皆様ご存知の通り、コメントしにくい仕様になっております。
これは手軽にできる荒らし対策なのですが、
今回のように、一言ではコメントしにくいような内容の場合
コメント下さった皆様には大変なお手間をかけさせてしまいました。
「沢山に分かれてしまって…」と仰って下さった方もおられたのですが
とんでもございません。
自衛の為とはいえ、このような仕様で申し訳ありません!
長いコメントになるときは普段あまり活用されていない
サイドメニューにある本来インタビュー受付用の黒いメールフォームを使って
コメントを送信して下さいませ^^
メールアドレスをご記入いただければ個人的にお返事いたしますし
なければ、web拍手コメント欄でのコメントと同様の扱いで
記事内でお返事いたします!
あるものは何でも都合よく使ってやって下さいませ^^

さて、皆様からの有り難いお言葉のお陰で私も色々と考えることができました。
コメントしてくださった方のほとんどが未掲載希望のカッコ書きで送って下さっていましたので
今回この件について皆様がお話して下さったことを順番に振り返りながら
私なりに、皆様へ新しい記事という形でお返事致します。
「あ、この部分は私が書いたことだな」と思って聞いて頂ければと思います。

まず複数の方から頂いたのは
「焦らず急がず、自分のペースで頑張って」というお言葉でした。
大学生になってあまり経っていない時期から、
ようやくカウンセリングというものに通うようになりまして
そこから色々な方面で大変お世話になっているスピリチュアルカウンセラーの先生にも
何度も言われていた言葉でした。
自分では、焦ったり急いだりはしていないつもりなのに
落ち着いてよくよく考えてみると密かに自分を叱咤していることに気づかされました。
なかなかこういう時に落ち着いているのは難しいことではあるのですが、焦っていると
「今」一番大切なことが分からなくなってしまうんですよね。
これは、もう一度この言葉をしっかりと意識して、今自分にとって一番大切なことを見極めていかなくては…
と再認識させて頂く機会となり、大変有り難いお言葉でした。

「私は自分が嫌いで…」「自分のことは信じられなくて…」というお話しをして下さった方も
何人かいらっしゃいました。
私は幸いにも「我こそは正義」と思える星の下に生まれているそうでして…。
イジメにあった人の大抵は自分が嫌いで、自分を否定するようになる…とテレビでもよく言われています。
どうして私はそうならなかったんだろうと思い、色々調べていたら、そんなことが分かったのです(笑
それが分かったときは(人から悪く思われそう、印象悪そう…)と思ったのですが
この星の下に生まれたお陰で自信をなくしたり自分を否定したり…ということは滅多にないのです。
逆に考えれば、この星の下に生まれなければ、
もしかしたらとっくに、人間としての道を踏み外していたかもしれません。
しかし、小学生のときに何度も自分に

「私を理解できるのは私だけ、他に私を分かってくれる人なんていない」

と、歯軋りしながら言い聞かせていた時期がありましたから、そんな私は立派な人間不信です。
痛みに耐える作戦とはいえ、無茶をしたものです;
今は、例え自分のことが嫌いな人でも、自分が好きと思える人の目を通して
自分が好きになれれば素敵だなと思いますし
人間不信の私でも、1年、2年をかけてお付き合いして信じられる人に恵まれることも、
きっとあると信じています。


最後になりますが、とても考えさせられたお言葉がありましたので
そのことについて書かせていただきます。
「楽しい、嬉しいといったものを感じた瞬間に素直になって生きる」
というようなことを書いて下さった方がいらっしゃったのですが
これは響きとしては簡単なように聞こえて実は凄く深いんじゃないかな…と。
私はまだまだ若輩者でこれだけでなく、皆様から頂いた深いお言葉の
一体どれほどを理解できているのか分かりません。
でも、これから何度も読み返していってその意味を探していこうと思っています。
さて「楽しい、嬉しいといったものを感じた瞬間に素直になって生きる」ということについてですが
私は一時期感情そのものが非常に平坦になった時期がありまして
今も感情の起伏は少ない方なのですが、その時はもっと酷くて所謂「麻痺状態」でした。
何時からだったのか、目の前でどんなことが進行していても心が動かないようになっていたんです。

一度中学で、誰かの悪戯で私のすぐ傍で窓ガラスが割れたことがありました。
周りは当然ながらとても驚いて騒ぎ、犯人を捜しましたが、
最も近くにいた私は「カシャーン!」という音に対して僅かに視線を流しただけでした。
喧騒と飛び散る硝子を眺めながら(ああ、心の中の決定的な部分が壊れている)と
目の前で起こっている事件とは全く関係ないことを考えて絶望したものです。
その時から慎重に自分の感情の動きを観察するようになったのですが
どんなに観察していても自分の感情がほとんど動かないことに気づいたのです。
恐らく毎日の痛みを緩和するために用いた処置だったのでしょう。
確かにその時はそんなに生死を彷徨う苦しみは感じていませんでしたが、
同時に楽しい、嬉しいと感じる心も失われていました。
ただオートマターのように、そこで決めた動作を実行しているだけに近かったのです。
途方に暮れました。
そんなことが分かったところで私にはどうすることもできません。
もう二度と心から何かに喜んだり、何かを嬉しいと思ったりすることはできないかもしれない。
そこまで覚悟していました。
実際、長い間、それらの感情を感じませんでした。

そんな時期があったからかもしれません。
「楽しい、嬉しいといったものを感じた瞬間に素直になって生きる」
という言葉を拝見したときに、ああ本当にそうかもしれない、それが大切なのかもしれないと
そう感じました。
皮肉な話しですが、一時とはいえその感情を失っていた私は
ほんの少しだけその感情の尊さが分かる気がするのです。
今は、私なりに少なからず「楽しい」と感じる時間があり
「嬉しい」と思うときがあり何かに感謝することができ穏やかであることができる。
辛いことや苦しいことにはすぐに囚われてしまうのに、反対の楽しいことや嬉しいことは
本当は存在するのに見逃してしまう…そんなこともあるような気がするのです。
全てのものは巡回していて、苦しいと思う心に苦しみは余計集い、憎しみを目掛けて憎しみが集う。
楽しそうな人の周りには楽しい話題が集まり、明るい感情は周りを明るくする。
カウンセラーの先生はそんなことも私に教えてくれていました。
「何も難しいことは考えなくていい。あなたが好きなことをすればいい。
 あなたが思いっきり楽しめば、自然とその楽しさに惹かれて人が集まり、あなたももっと楽しくなる。」
確か、そんなことを言ってくれたはずです。
つまりこれは「楽しい、嬉しいといったものを感じた瞬間に素直になって生きる」ということを実行していこう、
ということなんじゃないのかな…と。
見落としてしまいがちな楽しいことや嬉しいこと、少しでも心を掠めた瞬間に逃さないよう
しっかりと捕まえて感じ取っていくこと。表現していくこと。
そうして少しでも自分の中のプラスの循環を増やしていくことが大切なんじゃないかな…とか。
聞かせていただいたお話しを受けて、私はそんなことを考えたのでした。

以上、読者の皆様から寄せていただいた膨大な量のコメントをもとに記事を書かせていただきました。
繰り返しになりますが、私は、まだまだ言っていただいた言葉の真の意味を分かっていない気がしているので
これからも考えていきたいと思います。
皆様、貴重なお話しをどうもありがとうございました!
長々とお付き合い頂き感謝感謝です。御疲れ様でした^^

posted by 翼翠 at 00:00| 奈良 晴れ| 色々考えた事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする